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開業体験談 Vol.2 「私を信じてついてきてくれた仲間がいたからこそ…」

saitou.jpg今回は、有限会社 バンケット・サービス・プロデューサーの代表取締役、
齋藤宣昭氏の独立開業体験談を紹介させていただきます。
開業を考えている方はぜひ参考にしてください。

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PROFILE

齋藤宣昭 / Saito Yoshiaki
有限会社バンケット・サービス・プロデューサー代表取締役
有限会社 Ryu Corporation 代表取締役
昭和39年9月1日 生まれ O型

徳島県阿南市生まれ。36歳で独立。
大阪・京都・神戸のホテルでホテルマンとしてのサービス業を修行。
2002年1月に徳島市佐古で開業。
座右の銘は、「我以外みな師也」

COMPANY

有限会社 バンケット・サービス・プロデューサー
徳島県徳島市佐古2番町18-11
第1ブルックビル201

有限会社 Ryu Corporation
徳島県徳島市秋田町2丁目5-1
サントリープラザビル6F 
URL http://www.ryu-co.jp/

独立前は何をされていましたか?

ホテルマンです。県外のホテルを転々とし、最後は徳島県内の某有名ホテルに就職しました。

なぜ独立開業しようと思われましたか?

photo-d.jpgジャパニーズ コンセプト ダイニング龍RYU独立して会社を作りたいという漠然とした夢は社会人になった当初から持っていました。でも具体的にどういう会社を作っていくかは働きながら迷い続けていました。そしてホテルを転々とするうちに、いつかこの経験を生かして、出会った仲間と一緒に大きなことができたらいいな・・・と思い、徳島に帰ってきて会を作りました。その会で、みんなやる気はあるけど、それが形にならないとわかったんですよね。

上司との意見が合わないという理由で却下されることが多かったのです。
私はお客様を一番に考えたサービスをしたかったので、独立に踏み切りました。その時私が持っている経験の中で何が一番得意なのか、それは人の組織を作っていくということではないかと思いました。どんな会社でも大事なのは人と人との結びつきだと思うのです。私にとってありがたかったのは、資金ではなくて給料も支払えないのについてきてくれた仲間なのです。
独立当時、私は36歳でした。

ホテルマンの経験が現在の飲食業に結びついたものは?

photo-a.jpg匠ダイニング 一期一会高校卒業後、迷わずホテルマンになったのですが、サービスの仕事がしたいとか、雰囲気に憧れてではなくて、とても不純な動機なんですが、女性が多くて芸能人に会える職場だったからなんです。20歳前だったんで・・・(笑)
動機は不純でしたが、仕事をするうちにその業界で自分のやるべきこととか、おもしろいことっていうのが変わっていきました。最初は遊び半分な気持ちだったのですが、かっこいいサービスとかそういうことのおもしろさにはまっていったんです。本来、一本気な性格の為、もっと技術をもっと経験をもっと知識を、と・・・どんどんのめり込んでいきました。
今では考えられないことですが、長時間勤務でほとんど家にも帰らなかったですね。12時に仕事が終わったら、3時まで遊んで仮眠して、朝5時から会社に行って・・・という生活でした。若い時から武道をやっていたから体力には自信がありましたので。でもある日過労で心臓が止まってしまって、病院に搬送されました。目が覚めたら、支配人が病室にいてそのとき言われた言葉が、冗談みたいなんですが「今日は休んでいいよ」って(笑)。今から思えば2、3日くらいの休養が必要だったのでしょうが、支配人の言葉どおり素直にその次の日には仕事していました。(笑)

仕事に対して一本気なところは独立してからも同じ?

photo-b.jpgコンシャスカフェ クロス 春夏秋冬遊びでも仕事でも徹底的にやっていました。でも仕事が忙しくなるとだんだん遊びが削られていくんですよね。でも遊びがあっての仕事だと思ってました。その頃は女性が対象の仕事が多かったので、仕事に役立つようなサービスを求めて、収入の大半を食べ歩き、プライベートな時間やお金までサービスの勉強にあてていました。今でも心臓が止まるほどではありませんが、24時間365日仕事の依頼や相談があると「思い立ったが吉日」でその日のうちに全国どこまでも飛び回っています。

サービス業の勉強のためにお金をたくさん使ったということですが、独立されたときの資金調達は?

はっきり言って貯金はゼロに近い状態でした。

では銀行から借りて?

それも一切なかったです。というのも最初から相手にされなかったですね。
なんとか会社らしきものはできたけど、設備投資などに当てるお金はありませんでした。とにかく仕事が来ればなんとか食べていくことはできる、というすごくアマチュアな考え方で会社を設立したんですよ。

開業当時の資金繰りはどのようにされましたか?

photo-c.jpgカラオケBOX ボーカルクイーン厳しかったです。でも私を信じて集まってくれた仲間の生活は保障してあげたい。そこで資金調達のため、私の人脈をフル活用し、ケータリングサービスとイベント企画等何でも請け負う便利屋家業的な仕事を大小関わらず死にものぐるいでしはじめていました。それでやっとの思いで300万の資金確保をして、今の会社を設立することができました。

開業してからつらかったことはありますか?

最初半年ぐらいは社長業というのがよくわからなかったので、いつも現場に行って連絡を取ったりするなどのマネージャーのような仕事をしていました。それが今振り返ると一番つらかった時期ですね。自分の居場所がないように思ってしまってましたねー。社長業として、現場にいるということは会社が止まっているのと同じことだと思っていましたので、このままではいけないと思い、人脈作りに奔走するようにしました。

「成功したな」と思ったポイントはありましたか?

迷いながらも誠心誠意仕事をしているうちに、大きな仕事が入ってくるようになりました。それから紹介の連鎖が始まって、徳島だけでなく全国で仕事をさせてもらえるようになりました。また、別会社として、飲食店の経営とコンサルティングを主とする二つ目の会社(Ryu Corporation) ができたときです。

これから開業する方に一言

あきらめないこと。すべてプラスに考えること。