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開業体験談 Vol.23 「2年目どん底からの改心 人に見えぬところで努力する」

fukuoka.jpg今回は、焼鳥ごんオーナー 
福岡政彦氏の独立開業体験談を紹介させていただきます。
開業を考えている方はぜひ参考にしてください。

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PROFILE

福岡政彦/ Masahiko Fukuoka
焼鳥ごん オーナー 
昭和41年5月31日 生まれ O型 

徳島県小松島市生まれ。27歳で独立。 
工業高校を卒業後、有名車メーカーに就職するが、1年半ほどで退職。その後も職を転々とするが、定職には就かず。独立を考え始める。やがて行きつけの焼鳥屋で修行し、独立。 
1993年9月に徳島市で開業。 
座右の銘は、「石の上にも3年」 
好きなことは、「車」

COMPANY

焼鳥ごん 
徳島県徳島市富田町2丁目34 富田町ビル1F
TEL.:088-652-7233
営業時間:PM17:00〜PM24:00
定休日: 日・祝

卒業されてからの職歴、経歴について教えてください。

阿南工業高等学校を卒業後、スズキ自動車工業株式会社(現在のスズキ(株))に就職して、そこで1年半くらい整備の仕事をしました。それから運送屋、衣料品の販売員をして、また運送屋の仕事に戻っています。開業する直前に1年半くらいダンプカーの運転手もしました。どの仕事も、だいたい1年半から2年くらいずつですね。

今(焼鳥屋)とは関係のない職業ばかりですね。それが焼鳥屋として独立することになったきっかけを教えてください。

僕の場合、どの仕事も1年半〜2年くらいしか続かないんですね。それなら自分で何かした方がいいんじゃないかなと思ったんです。開業するなら、焼鳥屋、たこ焼き屋、お好み焼き屋かなあと漠然と考えていたんですが、行きつけだった焼鳥屋さんが(ノウハウを)教えてやると言ってくれたんですね。それが2度目に運送屋の仕事に行っていたときだったので、その仕事を辞めて、しばらく焼鳥屋さんで修行させてもらいました。それからまたダンプの運転手の仕事をしたんですけどね。その間に店を出す場所を探してもらっていて、1年半くらいしたときに良さそうな物件が見つかったので、いよいよ開業することにしたわけです。

焼鳥屋で修行した後にまたダンプの運転手を始めたのは、資金調達のためですか?

そんなつもりはなかったですね(笑)開業時に自己資金はゼロでしたよ。 
資金は約250万円くらいでした。自己資金はありませんでしたから、全額、銀行で借りました。

では融資はすんなり受けられましたか?

photo3.jpgまず、すでに開業していた知人に紹介してもらいました。それだけではだめだったので、父親と姉の旦那さんに保証人になってもらいました。あと、出店計画書のようなもので1日、1ヶ月ごとの売上げ目標とか支払い計画とか、そういうことを書いた書類も提出しました。保証人は二人必要でしたけど。普通、250万円くらいの融資でそこまで要求されないんじゃないかなと思いますが、「どこの馬の骨か分からん奴にお金を貸すんだから」ってことなんでしょうかね(笑) 
実は保証人を頼むとき、父親とは別にもう一人ということで、最初は、高校入学のときから保証人になってくれていた人にお願いしたんですけど、その人には断られたんですよ。そのときはショックでしたね。今まで保証人をしてくれていたのにどうして??・・・という気持ちが先に立ってしまい、そのときは腹も立ちましたけど。お金が絡むことですから、仕方がないですよね。僕は苦労したことなんかもすぐに忘れてしまうんですけど、このときの衝撃は今でもよく覚えていますよ。でもその事以外は割とうまくいった方なんでしょうね。

開業資金はどのくらい必要でしたか?

開業前に車を売って、18万円くらいだったと思うんですけど、それも店舗費用に当てました。1軒目は坪数で言うと4〜5坪の店でしたので、家賃が5万円くらいですね。前の店主がやめるときに置いていった冷蔵庫なんかの備品を含めて、店の権利を買い取るいわゆる居抜きの形でしたので、その費用としてだいたい100万円くらい入れたと思います。改装する必要はなかったんですが、汚い店だったので、自分で天井を張り直したり、電気の傘を紙で作ったりして、手は入れましたよ。食器を買い揃えたりもしたので、それに50万円くらい。残りは100万円ないくらいでしたが、それが運転資金になりました。電話を引くのに7〜8万円掛かった時代ですから、そんなものも差し引くと、少しの運転資金しかなかったですね。

開業当時の売り上げはどうでしたか?

それ相応のものはありましたね。滑り出しはすごく良かったです。計画書通りに、という感じです。

大変だったことはありますか?

photo5.jpgあれは2年目ですね。どん底でした。「飲みに行かずにはいられない」麻疹(はしか)に掛かってしまったんですね(笑)日に日に飲みに行ってお金がない。お金がないのにまた飲みに行く。完全に自分が悪いんだけど、そんな状態が1年くらい続きました。結婚前、嫁さんがまだお店のスタッフだった頃ですけど、「辛抱強くやればいつかは良くなるから、頑張れ、頑張れ」って言うんですね。彼女は、どうしてそんなにお金がないか理由を知らないですからね。店がいけてないと思っていたのかもしれません。でも店は繁盛していたんですよ。でも遊びという『はしか』にかなりかかっていたので支払いもままならず、取引先に「もう少しだけ支払いを待ってください」と頭を下げていました。

そんな苦境をどのようにして乗り切ったのでしょうか?

仲が良かった知人に「せめて50万円あったらなあ」とこぼしたら、「貸してやるけど利子を付けて返してくれ」と言われたんです。友達が困っているときにそんなことを言うかと、まさに弱り目に祟り目という感じで、がっくりきましたね。こんな状態を何とかしなきゃと思っていたときに、ちょっとした事故に遭ってしまったんですけど。不幸中の幸いで保険金が出たのと、150万円の追加融資を受けられたことで、借金も返済できました。そこでやっと目が覚めましたね。「もう絶対にはしかには、かからないぞ!」と堅く誓いました。

開業して良かったなと思うのは?

僕は勉強ができるわけでもないし、特別な才能があるわけでもない、そんな僕でも開業して嫁さんと子供を養うことができますから。この店がなかったら、今のような生活はできていないと思いますよ。

成功のポイントは何でしょうか?

何が悪いのだろうと考えて、椅子の並びを変えたり…いろんなことをしました。自分が座ってみてどこが気になるか?音楽が小さいのかおおきいのか、 
狭いと感じるか…細かいところから気をつけていました。

開業してよかったなと思うことは?

photo1.jpg徳島で成功するためには友人、知人をたくさん持つことですね。オープンした直後、ほんとうに友達に助けられました。お客さんがまだあまりいないときにも、友達がたくさん来てくれて、開店当時は8席のお店でしたけど、いつも一杯でした。そこから、友達の友達、そのまた友達と、新しいお客さんが増えていくわけですね。そして新しく来てくれるようになったお客さんを、がっちり掴んでいく。人付き合いの輪を広げるために、文字通り、寝る間も惜しんでいろんなところに顔を出すようにしていました。どこそこでBBQをするから来ないかと言われたら、酒を持って出掛けて、語りながら友達になって、そうするとお店にも来てくれたりするようになりますからね。徳島では「"誰それがやっている"あの店に行かんか」ということも多いと思いますよ。「福岡っていう奴がしている、富田町の焼鳥ごんに行かんか!」みたいにね。僕のお店に来てくれるお客さんでも、そんな人が随分いると思いますよ。都会だったらそんなこと少ないでしょうけどね。お店が大きくなってきたら、人通りも多い場所に店舗を構えられるようになるかもしれませんし、そうなると通りすがりの人が入ってくれたり、雑誌に載ったり広告を出したりするとそれを見た新しいお客さんが来てくれたりすると思いますけど、開店し始めの頃の小さいお店のときには、友達や知人を通しての集客がやっぱり一番ですよね。 
この町には焼鳥屋がびっくりするくらいありますよ。焼鳥と言うと四国では今治というイメージがありますけど、徳島にもかなりの数の焼鳥屋があるんですよ。その中で生き残っていかなきゃならないわけですから。僕は友達に助けられたから、友人、知人は多いほうが絶対いいと思いますよ。

二店舗目も出されていますね。

鷹匠町での開店から3年したときに、秋田町で串カツ屋を始めました。このお店は他の人に任せていたんですけど。1年半くらいしたときに、その店長が辞めると言うので、もう一人いた従業員に「店をやっていけるか」と聞いたら「できないです」と。それで、串カツ屋をやめて焼鳥屋に改装したんです。串カツ屋は失敗したわけです。人に任せてというのはなかなか難しいですね、やはり自分自身でやっていかないとだめだなと、実感しました。

移転経験もされているようですが。

そうですね。元来僕は、石橋を渡る前に叩き割ってしまうくらい(笑)慎重なんですけどね。店を出すとき、うまく行くときっていうのは、いろんなことが流れるように決まっていきますね。運とか相性とかも含めて、求めるものに求められるみたいに、何もかもがばちっと合うということなんでしょうね。1ヶ月くらいの間にとんとんとんと決まっていくので、お客さんが来てくれたときに「1ヶ月前にはあったのに今日来てみたら店がない。閉店?」なんていう状況もありますよね。お客さんにそんなことを言われたことがありますよ(笑)

ではこれから独立する人へ一言お願いします。

photo4.jpg「石の上にも三年」とは良くできた言葉だと思います。3年は辛抱が必要ですね。3年間我慢強く頑張ってもだめだったら、そのときは失敗なのかもしれません。3年したら売上げなんかも落ち着いてきますからね。1〜2年はオープンしてお客さんが増えていきますけど、2年目くらいからお客さんが減ったりして、浮き沈みするタイミングがあります。3年目に入って安定してきたら、だいたいそのくらいの状態で継続していけるということです。14年間、お店をやってきた経験で言うと、そんな感じです。5年間持ちこたえられたら、絶対続けていけるでしょうね。もっと経ってから店を閉めているケースもありますけど、それは引き際が遅かっただけなんじゃないかな。 
独立すると、老後のことも考えなきゃならないでしょう。ある程度の年金は貰えるのかもしれないけど、サラリーマンみたいに退職金も出ないですからね。それは自分で貯めておかないとだめですよね。65歳になったときに同級生と同じくらいの生活水準でと考えると、今は人より2倍くらいは稼いでおかないと。そのためには人の3倍は働かないといけないなと思っています。 
それと今の若い人に多いのが、「このくらいの生活をしたいから給料をこのくらい欲しい」とか「時給は900円じゃないとやらない」とか、まずお金のことを言うでしょう〜成功しようと思うのなら、それではだめです。そんなことを思い切って度外視して、こつこつと下積みすること。家でも地盤や基礎がしっかりしていないと崩れてしまうでしょう?僕だって一代でここまでやりましたからね。朝も8時、9時から仕込みをしますよ。人に見えないところで努力する。一生懸命頑張っていれば、その頑張りは自ずと人に伝わるし、良い印象を持って貰えるものだと思っています。