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開業体験談 Vol.6 「私が泡立て器を握らなくなったら…それが答えでした。」

abe.jpg今回は、SCHULE ABEオーナー
阿部万寿代氏の独立開業体験談を紹介させていただきます。
開業を考えている方はぜひ参考にしてください。

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PROFILE

阿部万寿代 / Masuyo Abe 
SCHULE ABE オーナー
昭和42年2月2日 生まれ A型

徳島県徳島市出身。33歳で独立。
アルバイト先や知り合いに刺激を受け、マクロビオティックに目覚める。家庭でのお菓子教室から始まり現店舗に至る。
2000年3月に徳島市末広で開業。
好きなことは、「読書、料理」

COMPANY

SCHULE ABE
徳島県徳島市末広2-1-42
URL : http://www.schuleabe.jp/index.html

独立前の仕事は何をされていましたか?

学校卒業後、大阪の会社に就職してパソコンのインストラクターを3年くらいやっていました。それからお金を貯めて、子供のときから行きたかったドイツに半年間、語学留学をしました。
そのときは語学の勉強をして、遊んで帰ってきたんですけど。
徳島に帰ってきて1年くらいアルバイトをしているうちに、夫と知り合い、結婚しました。結婚してからは、事務の仕事をしたりしていました。

お菓子に関わる仕事をするようになったきっかけは?

子供のときからお菓子を作るのが好きだったので、ポッポ街のTOMMY(トミー)っていう手作りケーキとコーヒーのお店にアルバイトに行き始めたんです。そこで1年半くらいアルバイトをしたんですけど、そこの奥さんから教わった"手作り"の技と心に、大きな影響を受けました。
その頃から、素材として自然なものを使うということに興味が湧いてきて。
例えば、小麦は外国産ではなく国産のものを、卵も放し飼いの鶏の安全な卵を、というふうに。
何よりもグラニュー糖を使うのは嫌だったんですね。きび砂糖などの素朴なお砂糖を使いたいとすごく思うようになって。
同じ頃に、マグノリアさんというパンやさんと知り合って、週一回、パンを焼くのを手伝いに行くようになりました。そうするうちに、生活、ライフスタイル全般、マグノリアさんの影響でどんどん変わっていったんです。

どんな影響を?

「電子レンジを使わない」「合成洗剤を使わない」なんていうことは、今でこそ、けっこう当たり前に雑誌などにも書かれていますけど、10年前は気がついた一部の人たちが取り組み始めたような時代でした。
ライフスタイルが変わり、自分の口に入れるものもどんどん変わり、そういう(自然な)素材を使ってお菓子作りがしたいと思うようになって。自分のやるべきこともわかったんですけど、どうせなら誰かと一緒にやりたいと、自然のものを使ったケーキをみんなと一緒に焼いてみたいと、まずは、ほんとにこじんまりした教室をしてみようと思ったんです。

そこが原点なんですね。教室を始める準備はどのように?

photo2.jpgインストラクターをしていたので、すぐにパソコンでチラシを作ったんですね。そしたら「教室に参加したい」という人たちから電話がかかってきて、「じゃあやりましょう」という感じで。最初は生徒さん二人だけのスタートでした。
教室の場所は、安宅の自宅マンションでしたし、あとは、製菓用の道具を少し買い揃えたのと、それを置くラックを買ったくらいです。

入り口にある泡立て器の絵

お菓子作りが子供の頃から好きだったとはいえ、教室を始めるまでとても自然な流れですね。

はい。何の資格を持っていたわけでもないし、何かするにあたって資格なんていらないんだなあと思います。
ただそのときあるがままの感じだったんですね。
自分のやりたいケーキ作りをやれる場所、それが教室だったという感じ。
それから2年半くらい教室をやっていたんですけど、その頃またドイツに行く機会ができて。
それはただまたドイツに行きたいなと思っていたときに、友達のお母さんとお父さんのところにホームステイさせてもらえることになったんですね。そのとき、ドイツのケーキやさんで2週間働かせてもらいました。

それからどのようにしてテナントを出すことに?

ドイツから帰ってきたとき突然、「新しく店を出すので、ケーキを卸してもらえませんか?」という電話がかかってきたんです。
ちょうどドイツに行ってきたばかり、ドイツ菓子を見てきたばかりだったから、「できますよ!」とためらうことなく言ったんです。
そうなると、許認可のおりたところで作らないといけないと。
家の近所を散歩していたら、テナントとしてちょうどよさそうな、隠れ家のような場所があって、聞いたらすぐに借りられたんです。

テナントの準備はどのように?

テナントの場所を借りたときの敷金は3ヶ月分で26万円くらいですか、それは手持ちのお金から出しました。
マグノリアさんのところで知り合った人たちが、自分で水道工事をしたり、器具を揃えたりしている人たちだったので、お手伝いにきてもらって、材料費と日当だけで1軒のテナントを作ったんです。

材料費と日当だけで、ですか。具体的にはどのくらいだったんでしょうか?

もう何十万円の単位です。50万くらい?かな?
道具類は、鴨島のリサイクルショップに行って、一式25万で買ってきたんですよ。そうやって、まわりの人からもらったり、助けられたりしながらテナントができたんです。

テナントができてからはどうでしたか?

テナントができたとき、ちょうどASAが取材にきてくれて、お菓子の教室のことがASAに載ったんです。
そしたらものすごい反響で、電話もたくさんかかってきて。1ヶ月どーっと教室のスケジュールがうまりました。テナントがあるから、もう”なんぼでもきてください”という感じで(笑)。

すごくタイミングがよかったんですね。

私からは何もしてないんです。何も交渉ごとなどすることなく、はいはいはいっていうくらいのタイミングでとんとんと。そこからがSCHULE ABEのスタートですが、1年間くらいはいろんな人と教室をやっていきましたね。

開店するきっかけとなったのは?

photo3.jpg教室だけではもったいないなあ、自分が作ったクッキーなんかをお店で売ってみようかなあと思うようになって。
チラシを作って、お店を手伝ってくれていた人と、近所のマンションに配ったんですよ。その当時は、お店としてやっていこうとか、これで生活していこうとか、ぜんぜん思っていなかったので、開店のお花を出したりするのが嫌だったんです。
開店の日をまわりに知らせたりせずに、何気なくオープンしていくというかそんな感じでいったんです。普通のお店作りとしてある、広告を出したり、チラシをまいたり、花輪でアピールしたり、そういうことをするつもりはなくて、ただもうおいしいお菓子を焼きたい、広げていきたいと、そういうことばかり考えていました。
そこで、お店作りに関しては他からアドバイスを受けたいと思って、徳島県の支援サポートを利用することにしました。

支援サポートの内容は?

徳島県の独立開業支援制度で、こちらが希望したもの、その内容は自由に決められるんですが、100万円までの支援を受けられます。ただし、かかった費用の1/5は自己負担です。
私は、東京のスピカ(麦の穂)というパンやさんを経営している降矢恭子さんに来てもらって、アドバイスや指導を受けたいという内容で申請しました。来てもらうための交通費や謝礼の負担と、コンタクトを徳島県の協議会の人がやってくれました。そうやって、降矢さんがスピカでやってこられた店作りについて教えていただけることになりました。
私が考えるのと同じようなお店なんですね。パンやさんの枠を超えたパンやさんというか、普通のお店とは違う店作りで成功している。安く売ったり、次々に新製品を出したり、焼いたらただ並べて、お客さんがレジにもってきてくれるのを待っているだけだったり、そんなパンやさんではなくて、売り方が違う感じだったんです。
天然酵母がどんなふうに作られているのかとか、私たちはこんなふうに作っているのだとか丁寧に手紙を書いたり、パンもものすごく時間をかけて、愛情をかけて作っているから、食べる人もただのパンとは思えなくなるんですね。
心のやりとりが利益を生む、そういうやり方を学ばせてもらいました。それらをうまく経営に生かしていけるようにアドバイスを受けて、またスタートしたわけです。

そして2003年、現在の場所に移転されたんですね。

はい。ちょうど同じ頃、(お隣の)とよとみ珈琲さんがうちより先に今の場所で開店されたんですね。開店の2週間くらい前に、豊富さんご夫婦が来られて「僕らがカフェをするんで、ケーキを卸してください。」と。
うちはまだ以前の場所にあったので、最初のうちは、ケーキが焼けたらこちらに歩いて持って来てたんですよ。移転のきっかけはというと、今の店舗を設計してくれた知人に「豊富さん(とよとみ珈琲)のところにケーキを卸すようになったんだけど、珈琲がおいしいから、一度飲みに行ってみてね。」と話したことです。
その知人が豊富さんのところに珈琲を飲みに行って、ここの場所が空くという話を聞いてきたんです。
それでその知人が「僕が設計するから、こちらに店舗を移転しないか?」という話を持ちかけてきて、「じゃあ、そうしようか」という感じで。

こちらの改装にはそれ相当の費用はかかっているんじゃないですか?

ここにかかった費用の一部をマル経融資で借りました。商工会のよくしてくれる方から教えてもらって。
あとは、個人の貯蓄から出しました。

そしてリニューアルオープンですね。オープンしてからの売り上げはどうですか?

経営的には、うまくはいっていないです。自分の給料も出ていないくらいだし、自転車操業の状態。生徒さんの受講料は経費と人件費にあてたら全部、お店の売り上げは、ほとんど仕入れに消える、という感じです。家賃と人件費は固定ですし、光熱費はそんなに切りつめるわけにはいかないですよね。
材料費をおとすと、本末転倒、このお店をやっている意味がない。できるだけ効率よくということは考えます。
ただ、自然食品を扱っている人たちはみんな必死なんですね。いいものを作りたいという思いで、ぎりぎりのところでやっているわけです。経営的な考えを持っている人がいないこともあって、利益を生み出すことに苦労しているんですが、自分の労働費は度外視して、みんなのお給料と家賃と仕入れの支払い、それができていればそれでいい、という感じでやっています。
みんなと一緒に楽しみながらお菓子を作る、それは生活そのものですから。
普段は、仕事をしているという感じがないんですよ。だからやっていけるのかな?それと、生活費は別にあるというのもあるかもしれません。夫がよく理解して協力してくれています。

やめたいと思ったことはありますか?

「主婦でいたい」というのが常にあるんですね。
だから、家で教室をするようなスタイルが一番いいんですよ。それが原点。
家でお昼にまったりと教室をして、とか、土日は休んで主人とどこかに出かけてとか、そんなことを考えるんです。主婦の範囲でできる仕事、が理想だったんですね。
それをずっとひきずっているんです。
そういうふうに考えないようにしようとか、そんな葛藤はいつもあります。それに、自然食のよさを伝えたいという気持ちも強くありますしね。

どのようにして切り替えたり、ふんぎりをつけたんですか?

photo1.jpg開業したことで、人格が変わってしまったんじゃないか?と言われたこともあります。
「やめてしまおうか」と真剣に悩んだときに、「いつも使っているお菓子の道具を握らなくなったらどうなるんだろう?」と考えたんです。そのとき、「それだけはできない。道具を残して、どうやって明日から生きていくの??」という感覚を体験しました。
何かある度に辞めてしまおうと思うんですけど、その都度、「あのとき、自分から泡立て器を取ったらどうなるんだろう?って考えたじゃないか。絶対そんなことはあり得ないんだから。」と自分の気持ちを収めるようにしているんです。

看板に書いてある泡立て器の絵は、阿部さんのいろんな想いの表れなんですね。

そうですね。
泡たて器は、小さいときから好きだったんですよ。お菓子作りの象徴でもありますね。

お店をやってよかったと思うことや感動したことはありますか?

毎日が映画や小説より奇なり、って感じですよね。現実がおもしろい。びっくりするようなことや不思議なことが起こるんです。
「ロッカーほしいな〜」って言ってたら、ロッカーがやってきたり(笑)、
「そろそろ商品カタログが必要だな〜」と思ってたら、飛び込みの営業の人がきて「チラシつくりませんか?」。
驚くほどのタイミングですよね。見えないものに仕切られてるような、そんな感じでした。たぶん開業している人は、みんなそんな思いしていると思いますよ。

成功したポイントはなんだと思いますか?

経営的には決して成功しているとは言えませんね。
でも、楽しく幸せな毎日を送る、それを成功というのであれば、とても成功!そういう人生が送れています。やろうとしていることが社会に必要なことであれば・・・ということなのかなと今となっては思います。
安全や安心、それに何かを大切に思う心、そんなものが今は必要とされていますよね。

これから独立する人へ一言、お願いします。

経営の勉強をしてから独立することをお勧めします。
それは当たり前なんでしょうけど、当たり前のことをしてから、ね。(笑)
自分が経営の勉強をせずに店を始めてしまったから、とても苦労したので、十分に勉強されると良いと思います。