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開業体験談 Vol.13 「売上を人件費が圧迫して…でも人は捨てられなかった」

sekimoto.jpg今回は、関本コーポレーション代表、
関本章広氏の独立開業体験談を紹介させていただきます。
開業を考えている方はぜひ参考にしてください。

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PROFILE

関本章広/ Akihiro Sekimoto 
株式会社 関本コーポレーション 代表
昭和39年9月4日 生まれ O型

愛媛県生まれ。40歳で独立。
高校卒業後よりコックを志す。全国展開のホテルに転職し、
徳島では料理長まで務めるがバブル崩壊後の将来に懸念を抱き、独立を決める。 
2005年2月に徳島市で開業。
座右の銘は、「なせばなる」
好きなものは、「車」

COMPANY

株式会社 関本コーポレーション 
徳島県徳島市富田町2丁目36番地
TEL.:088-612-8877
営業時間:PM17:00〜PM24:00
定休日:無休 
URL  http://sekimoto-corp.com/

卒業してからの経歴について教えてください。

愛媛県立吉田高等学校を卒業後、コックを志して、松山市内の町場のレストランで3年くらい修行しました。そこでボーイ、キッチン(調理)、店舗マネージャを経験。その後、洋食担当のコックとしてホテルで働き始めるわけですが、愛媛で7年、転勤して名古屋で1年、それから徳島と、計17年間になります。徳島に来たのは30歳のときですが、そのときホテルの洋食部門で料理長になりました。

開業するきっかけはどのような?

「夢」でしたから。僕らの年代はバブルの絶頂期にあって、その頃もてはやされていた”フランス料理”に対するひとつの憧れがありました。そしてその第一人者として活躍していた三国清三(きよみ)というシェフへの憧れ、それがあってコックになりたいと思ったわけです。この世界に入るとき「大きなホテルに入って一生勤め、安泰にやっていく」または「修行していずれ独立する」、大きくはそのいずれかを思うんですが、僕はまずはホテルで修行しようかなと考えた。そうしていくうちに、独立したいという野心が芽生えていったという感じです。
本当は30歳までに独立したかったんですけどね。家庭を持ったということもありましたし、いざ「料理長になってくれないか」とオファーがあったときに、それまでに培った人間関係や責任感というところで、簡単に断ることはできなかったというのもあります。「頭になったら、またいろんなことが見えてくるよ」と先輩にも言われ、それでとりあえず経験してみようと思って徳島に来たわけです。独立したいという気持ちはずっと持っていましたよ。でも、そう簡単に辞められないし、辞めさせてくれない。タイミングを計りながらやっていました。

それで40歳のときにそのタイミングがきたというわけですね。
何かきっかけになるようなことがあったのですか?

photo1.jpg2号店・銀乃介外観僕が働いていたのは全国展開しているホテルなんですよ。バブルがはじけた後、自分が35歳くらいになったときに、世の中の会社ではリストラが盛んに行われていて、僕らの年齢は対象ではなかったんだけど、将来、10年後20年後を考えたときにどうなるんだろう…このままではいかんなあと思ったんです。そういうわけで35歳くらいから、”独立をしよう”と具体的に考えるようになって、実現に向けての準備をしていってたんです。

では資金の工面はどのようにされましたか?

多少は退職金がありましたので。家庭もあったわけですが、退職金はほぼ全部つぎ込んだというのが正直なところです。家族の理解があってよかったですよ〜(笑)でもそれでも足りない、なので国民生活金融公庫と銀行から借り入れました。退職金から500万円、借り入れが500万円、僕が覚えている限りでは、全部で1000万円くらい準備したと思います。

借り入れするときの苦労などありますか?

僕の場合、それはあまりありませんでしたね。全国規模の会社に17年間と、長い間勤めたので、そのあたりをツールとして、意外にも保証人なし、無担保で借りることができたんです。だからそんなに苦労はなかったですね。

開業資金はどのくらいですか?

物件については敷金が3ヶ月と礼金が1ヶ月、計4ヶ月分で100万円くらい。内装に600万円、厨房には別に300万円かかっています。あと食器やその他什器に200万円で、全部で1200万円くらいになりますね。

では開業当時の売り上げはどうでしたか?

photo2.jpgBoss grill自慢のチーズフォンデュいや〜大変でした!開業する前は「一日これ位売り上げられるだろー」なんて売り上げを高く見積もってましたからね〜蓋を開けてみてがっかり(笑)1年くらいはそんな感じでした。結局のところ失敗だったんですよね。考え方に甘さがあった。
”ホテル”から”町場”に出るということ、そのあたりの認識が甘かった、感覚的なずれが出てしまった。”ホテル”の感覚のまま目算していたから、"町場"での実際の売り上げは、それと大幅に違っていたわけですね。目標金額の半分でした。

そんな中、辞めたいなと思ったことはありますか?

ありますよ〜いくらでも。それなりの経歴があって、開業時の借り入れなどの苦労なんかはあまりなかったわけですけど。その分、開業してからが大変でした!本当に「人」に苦しみましたから。

「人」に苦しむとはどういうことでしょうか?

開業するときに、それまで一緒に仕事をしていた仲間や部下三人をひっぱってきているんですね。経営が苦しいとき、一番簡単なのは人件費を削ることなんだけど、それがなかなかし難い状況だった。自分が誘って、それについて来てくれていている訳ですから。そのあたりで僕はやたらプライドを持ってましたね。結局は僕の目算が高かったのや、計算してコントロールするというところができていなかったせいなんだけど、ね。そんなに暇な店ではなかったし、雑誌なんかにも紹介されたりして、ある程度お客さん来てくれていましたから。もし女房と二人でやっていれば、利益は出ていたでしょうね。当初の人員を維持しながら、限られた売り上げの中でやり繰りしていかればならない、たいへんでしたね。

そんな状況をどのようにして乗り切りましたか?

photo3.jpg3号店・すずの助外観売り上げがいくらか上がったとしても、人件費が圧迫している状況では利益がでない。それでどうするかと考えました。でも人を捨てるという発想はなかったですね。本当はそれでは経営者としてはだめなんでしょうね。う〜んだめだと思います。
思い切って切り捨ててしまえば、容易に利益は出たはず。でもあえて僕は、その要因を抱えたままどう解決するかと考えました。そして出した結論が、2号店の開店だったんですね。

人件費を2店舗に分散させようとしたわけです。だから決して繁盛して2号店を出したんではないんですよ。 

経営者たるもの、情なんかに流されてはだめだと思うんです。職人肌というか、悪いところが出てしまったわけなんですけども。こんな方法は絶対間違いだと思いますよ。人件費をカットしてでも、店をきっちり建て直すのが定石。2号店を出して、お客さんが来なかったらそれこそおしまいですよ。ここが(ボスグリル)50席で2号店の銀乃介が200席ですから。でも1%の可能性に自信があった。じゃなかったらやれません。そして、爆発的にというか、思った以上にお客さんが来てくれた。それでなんとか生きています(笑)

開業してよかったなと思うことは?

自分の好きなことができるってことですね。

それでは成功したポイントは?

成功はしてませんよ(笑)でも大事だと言えるのは、自分達の提供したいものと、お客さんが店に求めるものをミックスするということ。そのルールでお客さんを呼ぶ。それがお客さんから受け入れられたときが成功です。でもそのあたりがうまくいっていないケースが多いと思う。うちの店も100%だとは言わないけど、今の結果をみると、半分以上の支持率はあるんじゃないかと思うんですよ。商売にはそれが一番大事。お客さんが求めているもの、店が求めているものが一致すれば成功するわけです。

その「お客さんが求めているもの」をどのようにリサーチしたのですか?

photo4.jpgやはり時代の流れを判断する、ということはありますよね。2号店の銀乃介、3号店の鈴乃介とも、今の時代に注目されている「食の安全」「絆」を大切に考えた店作りをしています。20年くらい前からあるファミリーレストランは、家族が食事をする場としてひとつの流れだったと思うんです。でも僕らからすると前時代的。今の時代、これからの時代に求められるものは何か。それは少なくともファミリーレストランではない。家族の絆は食事に育まれるところも大きいと思います。今、求められているのは「癒し」のキーワードに代表される町屋的な、隠れ家的なお店ではないかと。そこで僕は個室で、家族が落ち着いてくつろげるようなそういう空間を提供したかったんです。そして本物志向。和の板前さん、洋のシェフ、専門の料理人が作る料理はもちろんのこと、テーブルなどの備品にいたるまで、すべて上質なものをと考えていました。それに当然、勉強もしましたよ。同期生で成功している人間もいますし、友人からアドバイスも受け、それを徳島で実現するならどうなるかなと自分なりにアレンジしながら。

ではこれからの開業する方へ一言お願いします。

まずは「大変です」と言いたい。決して楽ではありません。だけど夢を持つということは大事。僕も格段恵まれた環境で育ったんじゃないし、一代でやっているわけですから、誰でもその気になればできるはずだと思います。ただ、大変、大事なのは「維持する」ということ。開店なら誰でもできる。続けていくこと、そこのところで僕も苦労しています。 
そして、時代の流れに敏感でないと取り残されますよ。常に競争ですから、たった一日の売り上げが悪かっただけでへこみますね〜でも、へこむだけじゃなくて、それをバネに進まなきゃ、ね。
プロフィールに「好きなもの=車」って書いているけど、ほんとに僕は将来フェラーリを買いたいと思っています。目標、夢に向かって前進あるのみです。人生は一回しかないんだから、自分のやりたいことをやらなきゃ。勝負っていうのは博打に近いと思うんですよ。当たればいいけど外れることだってある。そういうことが自分の判断ですべて決まります。好きなことをしなさい。決して僕は成功してません。でもこれからも成功するように努力し続けていきたいと強く思っています。