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開業体験談 Vol.5 「色々あった海外旅行。だけど今それが役にたってる(笑)」

kushida.jpg今回は、Silver Moon代表の
櫛田朝子氏の独立開業体験談を紹介させていただきます。
開業を考えている方はぜひ参考にしてください。

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PROFILE

櫛田朝子 / Asako Kushida 
Silver Moon 代表 
A型

北海道生まれ。
職を転々としながらも海外旅行に出かけるサイクルを送っていたが、ビーズブーム、パラソルショップをきっかけに開業。 
2005年9月に徳島市東新町で開業。
座右の銘は、「愛こそすべて!」

COMPANY

Silver Moon 
徳島県徳島市東新町1-16-1 Veeビル 
TEL.:088-624-4884
営業時間:AM11:00〜PM20:00
定休日:不定休

職歴を教えてください。

photo4.jpgSilver Moon 外観大学在学中、就職活動はせず、就職先は未定のまま卒業しました。
そんな時、声をかけていただいた会社があり、そこで健康食品&器具などの販売を始めました。しばらくして会社から独立の話を持ちかけられ、軽い気持ちで24歳のときその健康食品&器具販売の別会社を立ち上げました。
3年位、10人程のスタッフと共に働いたのですが、次第に「これは私のやりたいことではない!」と感じるようになり、それが比例したんでしょうね、業績も悪化していきました。エネルギーがなくなってきたんでしょうね、会社は自然消滅してしまいました。
その後、「私のしたかったことは旅行だわ!」と思い、お金を貯めるために夜の仕事をしていました。お金が貯まると外国に行くというサイクルでした。しかし、そんな生活って荒んできますよね。でも28歳くらいまで大阪でそんなふらふらした生活をしていました。
しかし、そんな生活は自分でもダメだと思い、丁度父がしていた仕事の影響もあり宅建の資格を取ることにしました。そうしたらなんと受かっちゃったんですよね(笑)。それで29歳のときに不動産会社に入社し、OLをしていました。普通のOLさんと比べると不真面目でしたねー(笑)。仕事が全然面白くなかったからかなー。時間きっちりに終わっていたかな!その当時結婚していて家は繁華街に5分でいけるようなところでしたから、バブルの時代も重なり、勤務時間以外は楽しんでいました。一度は転職したものの、そんな生活を7年くらいしていました。

その7年間、何を考えられていましたか?

photo2.jpgストーンのコーナー段々と自分のやりがいについて考えるようになりました。昔からインストラクターや旅行家になりたかったんですよね、それで4月に有給休暇をもらい、10日間バリに行きました。その時は本当に楽しくて、生き返った感じでした!!ですから帰国してからすぐの6月にまた行きたくなったんです。当然会社から休暇はもらえませんよねー(笑)。当時私は会社内でも無くてはならない存在になっていました。でもどうしても行きたかったので、ある日の昼休みに、「お昼休みに出ます」というメモ書きを残して、そのまま会社に戻らず何日か後に退職しました。自分が何の興味も無いことで拘束されていてしんどかった・・・あのときはあの方法しか思いつかなかったんです。会社の皆には悪かったんですが・・・。
丁度その頃、ベトナムでの仕事のオファーが舞い込んできました。前から行きたい国でしたし、行った事のない国でしたから即OKしました。
当時の主人に「ベトナムに行ってくるわ」と行って2週間の予定で出かけました。しかし、その時は体調不良もあってかベトナムがいまひとつに思えてしまい、その後主人に連絡もせずインドネシアに2ヶ月、一人でお金も無いのにふらふらと「これは現実逃避なのか」とか色々考えながら旅をしました。旅の終わり頃には主人に連絡するのも怖くなっていましたね。案の定、帰国したら主人とはすごく険悪な雰囲気になってしまいました。
色んなことがあったのですが、主人とは別れ、和歌山で新しい生活を始めることにしました。

それが独立されたきっかけですか?

photo1.jpgそうですねー。その頃は働いてなかったのですが、宅建の資格もあったし、携帯電話のビジネスとフリーマーケットの三本立てでやっていこうと思いました。でも宅建と携帯は長続きしませんでした。ですから、フリーマーケットで家具などを売って生活していました。それまでは無駄遣いの女王様でしたから(笑)結構売る物があったのでね〜。でもそれも底をつき売るものが無くなってきてどうしようかな、と思っていたときに世間ではビーズブームが起こりました。私は小さいときから小物作りが大好きでしたからフリーマーケットで出品しようと思い、一生懸命作りました。するとこれがよく売れたんですよ。「なんだ、自分の好きなことをすればいいんだ!簡単じゃない!」と思って。
それで、ビーズや石を日本のメーカーに頼るのではなくて、自分にしか作れない物をと考えました。その時、お金が無くて買いたくても見ていることしかできなかったためでしょうか、ふらふら歩いていた海外のお店が思い出されました。「あー、これはあの国の!」「これはあの国のだー!」って、前からどこで何が買えるっていう知識はありましたから。このときに昔色んなことがあった海外旅行の経験が役に立ちましたよ(笑)。
それから少し前に出会っていた今の主人との田舎生活を真剣に考え始めました。彼もサーフィンをやっていたし、偶然、私たちにとって良い物件があったりで和歌山から宍喰に越してきました。97年でした。
その頃も大阪と徳島を行き来しながら大阪でのフリーマーケットなどで収入を得ていました。徳島でのフリーマーケットである、パラソルショップのことなんて全く知りませんでしたよ。偶然知ったのは4月5日ですね、たまたま徳島に遊びに来ていた時で今でも覚えています。すごく賑やかで私たちもパラソルショップで売りたい!と強く思いました。でも、なかなか人気が高く借りることは難しかったんです。しかしそうこうしているうちにパラソルを貸していただけることになり、私たちもはりきってパラソルショップで販売を始めました。固定客も付き始め楽しい時間でした。しかし、お客様のことを思うとだんだん店舗を持ちたいと思うようになり店舗を探したところ偶然、現在のお店の場所が空いていたのです。

資金調達には困りませんでしたか?

全くお金はかかりませんでした。大阪にいた私の感覚では徳島の家賃はすごく安く感じたというのもあるのかもしれません。でも内装や棚はホームセンターの安売りや廃材で作りましたから(笑)。貯金だってなかったし、どこかから借りるというのもしませんでしたけど、3ヶ月間自分たちで店を作りつつ、ボードウォークのパラソルショップや大阪のフリーマーケットに出店しながらでなんとかなりましたね。

開店当時の売上はどうでしたか?

まぁ…ぼちぼちね。ボードウォークのときは家賃もかからなかったので助かりました。自分たちで作っていることもあるし、仕入れは自分で海外から仕入れているので、そのあたりで売り上げはいいほうだったかな〜

すごく大変だった時ってありました?

んーそんなに困ったときはなかったかな?ボードウォークの外で売っていたときは雨や風で困ったときはありましたけどね。それも今の店を持つことになった一因かな!

開業してよかったことはありますか?

photo3.jpgボードウォークの時と基本的には商品の雰囲気は同じだけど、お店があることでお客さんの幅が広がると思ったのね!お客さんが、新しいお客さんを連れてきてくれる、人に生かされているなって感じます。
そのことに気づけたことが良かったな、って思います。周りの店は閉まっていって…将来やっていけるんかなって不安に思うことはあるけど、でもとりあえず今、奇跡だけどやっていけている。本当に皆様のおかげさまですね。宝石って服や靴みたいに絶対必要ってものじゃないじゃない?!、けどお客さんが喜んでくれたら私もすごく優しい気持ちになれる。売上だけじゃなく、世界に一つのいいものを作ることで感謝の気持ちを返したい。

成功の秘訣は何でしょう?

これが成功してるって言えるのか分からないけど…
人に良いエネルギーを発信することを心がけています。

これから独立される方に一言

大丈夫。いつも大丈夫、って考えてね。ネガティブじゃだめ、自分がうまくいくビジョンをもっていなくちゃ。なんとかなるから。